祭壇に荘厳に供えられた、たくさんの盛籠。通夜、告別式という二日間の儀式を彩り、故人への弔意を示してくれたこれらのお供え物は、葬儀が終わった後、一体どのようになるのでしょうか。盛籠の慣習には、お供えする、という行為と同じくらい、その後の「分け合う」というプロセスに、大切な意味が込められています。葬儀が無事に終わると、祭壇に供えられていた盛籠は、ご遺族の手によって、一つ一つ丁寧に解体されます。そして、その中身である果物や缶詰は、まず、葬儀を手伝ってくれた親族や、特に親しかった友人たちに、「お下がり」として分け与えられます。これは、手伝いへの感謝の気持ちを示すと同時に、故人にお供えされた、ありがたい「お下がり」をいただくことで、故人の徳を分かち合い、そのご加護にあやかる、という意味合いが込められています。また、遠方から駆けつけてくれた親族に、帰り際に「道中、お腹が空くでしょうから」と、果物をいくつか持たせる、というのも、温かい心遣いです。さらに、数が多い場合は、葬儀を執り行ってくれた葬儀社のスタッフや、お世話になった寺院の方々にも、お礼としてお渡しします。そして、残ったものは、もちろん、ご遺族が持ち帰り、故人を偲びながら、日々の食事の中でいただくことになります。葬儀後のご遺族は、心身ともに疲れ果て、食事の準備もままならないことがあります。そんな時、この盛籠の果物や缶詰が、食卓を支える、大きな助けとなるのです。故人が、残された家族の食を、最後の最後まで支えてくれている。そう考えると、一口一口に、故人への感謝の念が、自然と湧き上がってくることでしょう。このように、盛籠は、お供えされた時点で役目を終えるわけではありません。故人への弔意として捧げられ、儀式の後には、残された人々の間で分かち合われ、その体を養い、心を慰める。この、美しい「循環」のプロセス全体が、盛籠という文化の、本質的な意味なのです。ただし、夏場の暑い時期などは、果物が傷みやすいため、できるだけ早く分け合い、消費することが大切です。