祖父の訃報を聞いた時、私は社会人二年目で、まだ、葬儀の作法など、何も分かっていませんでした。ただ、誰よりも私を可愛がってくれた祖父のために、何か、自分にできる形で、最後の感謝を伝えたい。その一心で、私は、生まれて初めて、自分のお金で、葬儀に供物を贈ることを決めました。供花と盛籠、どちらが良いか分からず、母に相談すると、「おじいちゃんは、花より団子、の人だったからね。果物の盛籠が良いんじゃないかしら」と、優しく笑いました。その言葉で、私の心は決まりました。私は、葬儀社の担当の方に電話をかけ、少しだけ背伸びをして、一番立派な二万円の果物の盛籠を、自分の名前で注文しました。通夜の当日、斎場に足を踏み入れると、祭壇の脇に、私が贈ったものと思われる、ひときわ大きな盛籠が飾られていました。その名札には、少し照れくさいような、誇らしいような、自分の名前が、はっきりと書かれていました。その盛籠を見ていると、祖父との思い出が、次から次へと蘇ってきました。幼い頃、夏になると、祖父はいつも大きなスイカを丸ごと買ってきて、縁側で一緒に食べたこと。私が風邪をひくと、うさぎの形に剥いてくれたりんごのこと。その一つ一つの思い出が、盛籠に飾られた、色とりどりの果物と、重なって見えました。あの盛籠は、私にとって、単なるお供え物ではありませんでした。それは、祖父からもらった、たくさんの愛情に対する、私からの、不器用で、精一杯の「お返し」でした。葬儀が終わり、親戚たちが、その盛籠の果物を、分け合っている光景を見た時、私は、不思議と、悲しさよりも、温かい気持ちに包まれました。私の贈った果物を、皆が、祖父の思い出と共に、口にしている。祖父は、亡くなってもなお、こうして皆に幸せを分け与えているんだなと。葬儀の後、母がその盛籠から、大きなメロンを一つ私のために取っておいてくれました。家に帰り、一人でそのメロンを食べながら、私は声を上げて泣きました。それは、祖父の死を、ようやく本当の意味で受け入れた悲しみの涙であり、同時に、祖父の愛情に満たされた感謝の涙でもありました。